2006年09月29日

久々の海

今日は波乗りだ。

ここのところ海に行けない日々が続いていたのでワクワクした気分になる。


子供の頃は、こういったワクワクが頻繁にあったが、なかでも楽しみだったのが、やっぱり海の思い出だ。
 
小学生の頃僕のオヤジはボートを持っていて夏場はそれにオヤジの怪しげな仲間(鬼のような顔をした刺青者、化粧の濃い綺麗なお姉さん)や親父の会社の従業員、僕の友達などを連れて遊びに行った。
子供ながらにお姉さんの水着姿にドキドキしたものだ。

ボートを止めて、オヤジは投網を、僕と友人はザリガニ釣りの要領で小さい蛸を、らっきょを餌にして釣り、他の人は海に飛び込んだり、釣りをしたり、日光浴をしたり、ゲロを吐いたりしていた。

僕も毎回吐いていたが、行くのを止めようなどとは決して思わなかった。

昼になると小さな誰も居ない島に上陸して、和食屋をしている人が獲った魚や蛸を刺身や天ぷらにしてくれて大きな貝殻に盛ったご飯と食べた。

帰りはいつも悲しくなった。

あれからだいぶ年月は経ったが海好きは変わらない。


今日は東北東の風か。

風合わないけど、まあなんとかなるでしょ。


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2006年09月28日

朝焼けの光の中に

いい朝だ、雲ひとつ無い。


こんな日は静かな曲を掛けて海に向かいたいところだ。


海は僕の家からだとちょうど東の方向なので、太陽に向かって走る。


少し眩しいがいい気分だ。

さーて、コーヒーも無くなったし行きますか、仕事でも。


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2006年09月26日

ダークサイドが

またしても海に行けない日々が続いている。

さっきトイレに行こうとして洗面台の鏡に映った顔は
シャイニング
こんな感じだった。


まずい、波乗り禁断症状が出ている。


このままでは夜中、無意識に外へ出て行って野うさぎを頭からバリバリ食べてしまいそうだ。

一晩中歩き回ったって野うさぎなんか居ないか・・・・・

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2006年09月23日

デビルカッターは岩砕く

裏切り者が好きだ。

デビルマンのことではない。


自分の予想にに反してくれる、予想だにしない行動をしてくれる人、ギャップのある奴。


例えば、気が弱そうなのにでかい波平気で行っちゃう奴とか、冷たそうなのに見えないところで気を使ってる奴とか、豪快なのに高いとこ駄目な奴とか、すっげー綺麗な人なのに歯をむき出して大笑いする女の人とか。

すごく可愛く見える。


多分、演技ではない本能を見せている人の表情が、たまらなく愛おしいのだと思う。


昨夜スーパーで見た中国人のホモのカップル、他人の目など微塵も感じることも無く、腕を組んで「今夜のおかず何にしましょうか」みたいな感じで、楽しそうだったな。

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2006年09月20日

そんなぁー 気がして

昨日は2週間ぶりの海だった。

その間、仕事が忙しくて、とても海に行ける状況ではなかった。

僕は自営業なので忙しいのは喜ばしいことなのだが、海に行けないのは辛い、と言うかむかつく。

海には行けなくても波情報は見るので波が良かったりすると、通りすがりのボケーっとした若者に足払いで状態を崩してからの背負い投げを決めたい気分だ。



海に行けなかった一昨日までは恐らくこんな表情だったと思う。

海に行くと不思議と今までのイライラが一旦チャラになったような、振り出しに戻ったような気分になる。

2週間行かなかっただけなのに、その間に過ごした社会的な出来事に順応しようとしている身体を、一瞬にして「ああ、やっぱ俺これじゃん」と気付かせてくれる。


昨日の一宮近辺は胸肩のファンウェーブ、流れが少しあったけれど楽しめた。


波乗りをしていなかったらと思うと少し怖い。


イライラをチャラにするには、空き缶を蹴ったり、川に石を投げたり、夕日に向かって「バカヤロー」と叫びながら走ったりしても無意味だろう。


やはりボケ―っとした若者に、小外狩りに見せかけておいての大外狩りを決めるしか道は無い。

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2006年09月17日

苦しくったってー

今年の秋は唐突にやってきた。


残暑君は途方にくれているはずだ。


チューブの前田君と波乗りな人々も途方にくれる。


「だってこないだ始まったばっかしじゃん、夏」


だけど涙が出ちゃう、サーファーだもん。(古っ  by アタックNO1


相当な勢いで頭が分裂している。


寒い季節が始まると必ず思い出すことがある、真冬の波乗りの後、ボタンもろくにはめられない指で暖かいコーヒーを買い、それを一口、すると千葉のローカルの先輩が僕を見て一言、「こてーらんねっぺ」


まさに的を得た一言、「こたえられないでしょ」と言われてもたいした感慨はないだろうが、その一言を聞いて、「方言て素敵だなー」と思った。


僕も千葉で生まれ育ち、5歳までは津田沼の爺ちゃん婆ちゃんに育てられ、母に言わせると、ボール遊びをしていて車の下などにボールが入ってしまうと、「玉がへぇっちった、へぇっちった」などと言って、頭を抱えていたらしいが、今は標準語になってしまった。


婆ちゃんの忘れられないフレーズがある、それほどたいした出来事が起きたわけでもないのに婆ちゃんはよく言っていた、「は やぁーだえぇ  は どぉーしろかよ」


それを聞く度に、なにか暖かい気分になったものだ。


婆ちゃんは亡くなってしまったけれど、僕の好物の卵焼きとぬかずけとカレイの煮付け、食いたいなぁー。


今食べたら思わず「こてーらんねっぺ」と叫びそうだ。


婆ちゃん、ありがとう、僕も大人になって、ざくろの木に登って爺ちゃんに叱られる事も無くなったよ。


隣に寝ている明け方の、「タバコ一服すろっ」って声が、なんか安心する言葉だったなぁー。

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2006年09月12日

You talking to me?

寒い。

「お母ちゃん、今日はあったかいシチューが食べたい」と言いたくなる。

今日は寒いので仕事を早く切り上げて、読みかけの本でも読んでのんびりしようと家路を急いだ。

駐車場に着くと、異様な眠気が襲ってきた。

家までは1分かかる、迷わずシートを倒した。

地底のマグマに触れそうなほどの深い眠りだった。

目が覚め周りを見渡し「ここは何処だ」と感じるほど頭がぼんやりしていた。

だが夢が悪かった、ただひたすら何かに追われているという現実をフィードバックさせる夢だ。

ぼんやりした思考で、「いつ頃から空を飛ぶ夢を見なくなったんだろう」と思った。

15年ほど前に作家の村上龍がホストで多彩なゲストが出演するトークショーがあって、ゲストにその当時40歳位のデ ニーロが映画のプロモーションをかねて出ていた。

その番組は最後に印象に残った夢の話をして貰う企画があって、デ ニーロは「とても早く空を飛ぶんだ。」と答えていた。

何か象徴的な話だなと思った。

彼は自分の才能を見つけ、エネルギーをそれに集中し、力をつけ、何かから自由になり、空を飛ぶ夢を見続けているのだろう。

彼は言っていた「スコセッシとやれば何度もスペシャルなものが出来るだろう、でも僕は新しい監督、新しい題材でやるのが好きだし、そうあるべきだと思います。」

もう一つその番組で印象にのこっているのは、ホストの龍さんが「タクシー ドライバーの後半、トラビスが血に塗れた手でピストルの形を作り自分の頭に当て、引き金を引く仕草をしたのは、アドリブですか?それともスコセッシの演出ですか?」という問いに「忘れました、脚本にそう書いてあったのかもしれません」と答えたのだ。

伝説的なあのシーンを覚えていないなんて、あれは演技とか演出を飛び抜けたシーンだったと思う、それを忘れたなんて、なんとも・・・・・言葉が見つからないが、デ ニーロらしくてかっこ良かった。


まあデ ニーロもタクシー ドライバーも知らない人は訳分かんないでしょうけど。


デ ニーロみたいにはいかなくても新しいことに挑んでいかなくちゃな、そんで空飛ぶ夢を取り戻さなくっちゃ的な睡眠でした。

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2006年09月10日

坊やー良い子だ寝んねしなぁー

最近波乗りの調子があまり良くない。

というのもここ二週間位ろくな波に当たっていないせいだ。

波乗りは自然相手のスポーツ(今ふとスポーツと書いて、スポーツなんて言葉あったっけ?と思ってしまった、初老ですね確実に)だから他のスポーツと違い、いくらやる気満々でも日本の場合はうねり、風、地形などがかみあわ無ければならず、まあまあの波はたまにあるけれど「すんげぇいい波ー!」と感じる日は一年に数える程しかない。

ぼくは二十数年千葉の海に通い続けているが、海の様子もだいぶ変わってしまった。

とにかくテトラポット、堤防の建設ラッシュのせいで、ある場所はポイントがどんどん沖になっていったり、逆に砂浜がみるみるうちに侵食されていったり、まったくいい波がたたなくなってしまったり。

道路公団もいいけれど、次期総理には海での無意味な公共事業はやめさせて昔の海を返して欲しいと思う。

一宮あたりは侵食を防ぐための防波堤が作られているが、そんなことに金を使うなら今まで作ったテトラ、堤防を撤去したほうがいいではないか、そう思わんかね総理、総理!と言いたくなる。

昔々のお話です、お爺さんは波に乗ろうと海に向かいました、その日は北風が吹いていたので「こりゃ片貝方面じゃのう」と思いごんすけという海の家に到着すると、とてもいい波がありました。

お爺さんは、さっそく着替えて海に入ろうとしましたが、海を良く見てみると、そこには既にたくさんの人が波乗りをしていました。

混雑が嫌いなおじいさんは「左のあっちのほうにも波がありそうじゃのう」と思い、目の前のいい波を尻目にそちらの方へ行ってみようと思いました。

川向こうの作田のこちら側あたりじゃろうと見当をつけて進んでいくと川に突き当たりお爺さんは困ってしまいます、「このあたりは漁港になっているので浜には出られんかのう」と思いましたが、見ると堤防のあちら側に浜がありそうです。

お婆さんの意見を聞きたい所ですが川に洗濯にいっているので無理な話です。

お爺さんは勇気を振り絞り、たくさんの鰯が水揚げされている脇を通り抜けて行きます。

堤防までたどり着き「うんこらしょ」と登ってみると、目の前にはさっき見た波よりもっと良い波がありました。

人は誰もいません、誰もいない海です。

お爺さんは手を叩いて喜び、心ゆくまで波に乗りました、そして念願の上に行ったり下に行ったりが出来たのです。

お爺さんはその夜、お婆さんに今日の出来事を熱く語りました、お婆さんは「芝刈りもせずに遊びほうけて」と思っていましたが、とても楽しそうなお爺さんに自分も楽しい気持ちになってきました。

けれどお婆さんは波に乗ったことが無いので、どう楽しいかは分かりません。

「ブギボーすりゃええ、ブギボーすりゃええ」とお爺さんは言いました。

お婆さんは大根を売ってブギボーを買うことに決めましたとさ、めでたしめでたし。

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2006年09月06日

元気でねぇー!

僕の姉夫婦は冒険家だ。 

冒険と言っても人が足を踏み入れたことの無いジャングルで首狩族やオオトカゲを探したりする川口浩的な冒険ではなくて、生活自体がチャレンジャーなのだ。

二年程前、姉が海外で生活したいなと言い出した、姉の職業は針灸士で独身時代に英語を覚えたいとカナダに3年位、針治療などしながら生活していた経験があるので、また何かの目的があるのかなあと思っていたら、ただ行きたいらしいのだ。

ほどなくして「行く所決まった、ミャンマー」との連絡。

ミャンマー?何処だっけそこと思いつつ「なんでミャンマーなの?」と聞くと「一番安いから」と至ってシンプルな答え、良いのかそんなんで決めて?軍事政権だぞ確か、「いつ行くの?」「半年後」。

旦那のニコニコ君(いつもニコニコしているので、そう呼んでいる)も行きたいんだろうか?

その頃、義兄は僕の仕事を手伝って貰っていたので「本当に行くの?」と言うとニコニコしていた。

そして旅立ち、メールでのやりとりが始まったのだが、調べてみるととても美しいビーチのリゾートがあって「波乗りできるのかな?」と聞くと「政府の許可が要るんだって」・・・・・波乗りに許可が?なんてアウトローな国なんだ。

そんな二人が八月の間、一時帰国していた、暑さと水と食い物で何度か下痢にやられてガリガリに痩せて帰ってきた二人、だけれど太陽に元気を貰ってエネルギーに満ちた二人。

「毎日何してんの」と聞くとニコニコ君は日本語の先生で、姉は英語の先生になっているらしかった。

なんともたくましい二人、生命力にあふれている。

授業料は月に300円らしい・・・・・10人教えて3000円かぁ・・・・・すばらしい。

ただ一つ心配なことがある、ニコニコ君は高知出身で方言が抜け切れていないのだ。

近い将来ミャンマーの町には「暑いぜよ」とか「おんしゃぁ魚を売りに行くがか」と坂本竜馬のような人々が溢れ出すだろう、まあそんな光景も楽しそうだ。

今朝二人は元の体重に戻り帰って行った、一度暮らしぶりを見に行ってみようと思っている、もちろんサーフボード持参で。


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